e-fuel生産に投資したポルシェの意向を反映
2035年以降、二酸化炭素(CO2)を排出しない「ゼロエミッション」の自動車のみ販売を認めるとするEUの法案(通称“Fit for 55”)は、土壇場でドイツからe-fuelを使用するエンジン車も許容すべきとの声が上がり、この要求を受け入れて3月28日に欧州エネルギー担当相理事会で合意・成立した。
2021年に欧州委員会が策定したこの法案は、昨年10月に欧州議会と担当理事会で基本合意に達し、今年2月には欧州議会が可決(賛成340票, 反対279票、棄権21 票)したが、担当理事会での最終承認を前に、ドイツ政府が自国の自動車業界の意向を受けてe-fuelを許容することの明確な保証を求めた形だ。
昨年7月にフォルクスワーゲン社のCEOに就任したオリバー・ブルーメ氏は、引き続きポルシェ社のCEOも兼任しているが、従来からカーボンニュートラルな燃料とされるe-fuelを容認すべきだと発言していた。
ポルシェは、南米チリ南端部のHaru Oni(ハル・オニ)に、チリ国営エネルギー会社がシーメンスやエクソンモービルなどと設立したe-fuel生産プロジェクトに出資している。
昨年12月に稼働したこのプラントでは初年度に13万リットル、2026年度までに5,500万リットル、その2年後には10倍の5億5,500万リットルの合成燃料を生産する計画だ。
ここでは、風力発電の電気で水を電気分解して作ったグリーン水素を空気中の二酸化炭素と反応させて合成してeメタノール(CH3OH)を作り、これをガソリンに改質した上で欧州に輸送し、当面はポルシェカップなどのレース用に、将来は「ポルシェ911」などヴィンテージカー用に供給することを念頭に置いている。
ここにきて、新車においてもe-fuelを許容すべきとの立場を明確にしたのは、2035年以降も911などのエンジン車を販売し続ける可能性を残しておきたいからだ。
同様にフェラーリも、e-fuelによってV12エンジン搭載車の継続生産を望んでいるし、そもそもイタリアは、e-fuelだけでなく「バイオフューエル」も認めるべきだと主張していた(こちらは認められず)。アウディが2026年から参戦を表明しているフォーミュラ1も、この年からe-fuelの使用を前提としている。
現状認識ではe-fuelはコストが高く利用は限定的
欧州の「2035年にゼロエミッション」が法律として成立する動きが明確になった2021年、日本でも政府やトヨタなどが燃料とパワートレインの多様な選択肢を残しておくべきとして、ハイブリッド車など内燃エンジン存続の切り札としてe-fuelに白羽の矢を立てようとした動きがあった。
筆者が勤めていたフォルクスワーゲンやアウディは、20年近くにわたって合成燃料の研究を進めていたこともあり、2年前に自民党のある有力国会議員に議員会館に呼ばれ、その開発の現状を説明したことがある。
その時のフォルクスワーゲングループの考えは、e-fuelは生産に多くのエネルギーを使うため、少なくとも乗用車では、再生可能エネルギーで発電した電気を直接バッテリーに蓄えて駆動力に使うEVの方がはるかに効率が高く、e-fuelや「グリーン水素」は航空機や船舶の燃料、製鉄プロセスなどクルマ以外のニーズに使用されるべきというものであった。
フォルクスワーゲングループでe-fuelの研究を担っていたアウディも、風力発電で水を電気分解してeメタン(CH4)を製造するドイツ北部のヴェルルテの工場を最近手放しており、チリの風力発電への投資を決めたポルシェのe-fuelプロジェクトを除けば、フォルクスワーゲングループとしてEV化に邁進する姿勢は鮮明だった。
EUがドイツの要求を土壇場で容れたことに、フランスや北欧諸国、環境団体などからは「法案の透明性が損なわれる」、「化石燃料が延命する温床になる」など異議が早速出たようだ。
しかし欧州理事会が言うように、e-fuelを容認したことは2035年にCO2排出ゼロを決めた意義を損なうものではないという見方が支配的だ。ステランティス社のカルロス・タバレスCEOも「e-fuelは今後開発が進む技術の一つ」と認めながら、現在のEV化の流れを変えるものでないと発言している。
経済産業省の試算でも、e-fuelは自然エネルギーの豊富な海外で生産しても現状のガソリンの2倍、国内生産では5倍もコストがかかり、スーパーカーや高級スポーツカー向けのプレミアムな燃料として少量が流通する程度だと見られている。
ポルシェを除いて自動車メーカーで合成燃料の生産に本格的に乗り出している会社はないし、今回の決定が他の自動車メーカーに与える影響は当面ほとんどないだろう。
ウクライナ戦争でEV化はむしろ加速
2022年2月にウクライナ戦争が勃発し、ロシアからの原油や天然ガスの供給が滞り化石燃料の価格が高騰、リチウムなどバッテリーに必要な資源の争奪が激しさを増してきた。世界はリチウムの精製を70%中国に依存するなど、エネルギーや資源確保など経済安全保障上の懸念も高まった。
こうした状況は、EV化の動きを鈍化させるかと懸念されたが、逆に欧州は再生可能エネルギーへのシフトを加速させる機会と捉え、自動車メーカーは、EV化の達成目標をむしろ前倒ししている。
メルセデス・ベンツやボルボは、2030年に完全にEV販売のみにシフトすると表明しており、フォルクスワーゲン社のブルーメCEOは、先月の年次記者会見で2030年にフォルクスワーゲングループの新車販売(欧州)のうち80%をEVにすると表明し、前任のヘルベルト・ディース氏の時の目標(70%)から引き上げている(ちなみにEUの“Fit for 55”は、2030年に販売する乗用車のCO2排出量を2021年と比較して55%削減すると定める。従来の目標は37.5%削減)。
EU域内の自動車メーカーのみならず、アメリカのGMやフォードにテスラ、EV販売で先行する中国自動車メーカーや電池メーカーのすさまじい投資を見れば、EV化の勢いは衰える兆しは見えない。
「一つの籠に全ての卵を盛るな」
一方で、世界市場全体を見れば、アメリカや中国でこれからどの程度のスピードでEV化が進むかはまだ明確には見通せず、アジアやアフリカなどのグローバルサウスを俯瞰すれば、2040年になっても内燃エンジン車が人々のモビリティに必要である可能性は十分にある。
メルセデス・ベンツは2030年に完全にEVに移行すると表明しているが、それには「市場環境が許す限り」と但し書きをつけているし、BMWのオリバー・ツイプセCEOも、内燃エンジン車の販売禁止年を法律で決めることには懐疑的な見方を示していた。
ドイツがe-fuelによってエンジン車の生産の選択肢も残したいとしたのは、先進国の一部の富裕層のためだけでなく、こうした背景もあるであろう。航空機や船舶、大型商用車には、水素を含むカーボンニュートラルな液体燃料が必要だろうし、乗用車にも使用の可能性を残しておくのは一つの考え方だ。
日本政府も昨年9月に「合成燃料(e-fuel)の導入促進に向けた官民協議会」を設立して、自動車や船舶、石油業界など関連産業を巻き込んで技術開発に取り組もうとしている。
自動車メーカーでもトヨタが水素エンジン車の開発を手掛け、マツダもユーグレナと協力して微生物からバイオ燃料を生成してディーゼルエンジンに使用するプロジェクトを進め、ドイツに本拠を置くe-fuel allianceにも加盟している。
英語には「一つの籠に全ての卵を盛るな(Don't put all your eggs in one basket)」の諺があるが、果たしてe-fuelがその事例になるのかどうか、今回のEUの決定が、今後アメリカや中国のゼロエミッション政策にどういった影響を与えるか注視していきたいところだ。
●著者プロフィール
丸田 靖生(まるた やすお)1960年山口県生まれ。京都大学卒業後、東洋工業(現マツダ)入社。海外広報課、北米マツダ(デトロイト事務所)駐在をへて、1996年に日本ゼネラルモーターズに転じ、サターンやオペルの広報・マーケティングに携わる。2004年から2021年まで、フォルクスワーゲングループジャパン、アウディジャパンの広報責任者を歴任。現在、広報・コミュニケーションコンサルタントとして活動中。著書に「広報の極意−混迷の時代にこそ広報が活躍できる」(2022年 ヴイツーソリューション)がある。