最初は画家になりたかった
フランス国境に近いイタリア ピエモンテ州のガレッシオで、祖父も父親も教会のフレスコ画などを描く画家の家系に生まれたジウジアーロ氏は、早くから絵画の才能を示しますが、「芸術だけでは食べていけないぞ」という父親の言葉に従って高校からトリノに出て美術学校に通いつつ、夜は技術専門学校で製図などを学びました。
それまで自動車に特段興味はなかったものの、美術学校の卒業製作で描いたクルマのスケッチが、「フィアット500」などを設計したフィアット社の技術部長ダンテ・ジアコーサに見出されて、同社が設立したばかりのスタイリングセンターに若干17歳で入社します。
当時のクルマづくりは設計部門主導で、スタイリストはいわば骨格を包むスキンを造る仕事でしたが、この4年間のフィアット在籍時代にジウジアーロ氏は、「アートの素養と技術的な知識でクルマをデザインする仕事に確信を持つ」に至ります。
この卓越したデザインセンスを持つ若者を知った名門カロッツェリアのヌッチョ・ベルトーネ氏の誘いに応じて1959年にベルトーネ社に移り、アルファロメオ 2000/2600スプリントやフェラーリ 250GTなどを矢継ぎ早にデザインしてたちまち頭角を表します。ベルトーネでの5年間の目覚ましい活躍ののち、カロッツェリア・ギアのデザイン責任者に転じ、いすゞ 117クーペやマセラティ ギブリなどの名作を手がけ、1967年に30歳を前に自身の会社イタルデザインを設立します。

テーマ展示「世界を変えたマエストロ」ではアルファロメオ ジュリアスプリントGT(手前)、マセラティ メラクSS、初代フォルクスワーゲン ゴルフなど10台が並ぶ。

ジュリア スプリントGTのフロントを軽やかにライブスケッチ。寄り目のヘッドライトを四角に囲むデザインは、両端のヘッドライト上部からフェンダーが作られる従来のデザインの常識を変えた。