20世紀最高のカーデザイナーとして、自動車業界やクルマファンの間で知らぬ人はいないジョルジェット・ジウジアーロ氏が、10周年を迎えたクラシックカーショーである「オートモビルカウンシル2025(4月11〜13日開催)」に来日し、2日間にわたるトークショーで日本のファンの前で自身の作品やデザインへの思いを語りました。ジウジアーロ氏が日本の公の場で姿を見せたのは、2013年に行われた7代目フォルクスワーゲン ゴルフのプレス発表会以来のはずで、当時フォルクスワーゲンジャパンの広報責任者だった筆者がその時に聞いた話の内容も交えながら、語られた言葉の意味を紐解いてみたいと思います。(タイトル写真:マエストロと日・伊通訳を務めたカーグラフィック編集長の小野光陽氏。写真:荒川正幸)

ファインアーツと工業デザインの架け橋

ジウジアーロ氏は、今回のトークショーでも「カロッツェリアでも、プロトタイプを1台作るのと2台作るのでは違うし、まして量産車を作るのはまったく異なる仕事だ」と語りましたが、日進月歩で進化する自動車技術やエンジニアリングを深く理解し、大量生産できるデザインを提案することに長けたイタルデザインは、世界中の自動車メーカーから注文を受けるようになります。

アルファロメオやマセラティなど主にイタリア車からスタートしたジウジアーロ氏の仕事は、すぐにBMWやフォルクスワーゲン(パサート、ゴルフ)のドイツ車、シボレー(GM)やフォードの米国車にも広がります。また、1960年代から自動車産業が大きな成長を遂げた日本も同様に、マツダの初代ルーチェを皮切りに、いすゞ 117クーペやスズキ キャリー、トヨタ スターレット、スバル アルシオーネSVXなどのデザインをとおして関係を深めていきました。軽自動車から高級セダン、スポーツカー、バスに至るまであらゆるジャンルのクルマをデザインしたジウジアーロ氏は、「エンジニアリングの創造性とファインアーツの匠」を融合して、万能の仕事ぶりを発揮したのです。

「ガラス、プレス、溶接、ロボットなどあらゆる知識を身につけて、説得力ある提案ができなければならない」と話すジウジアーロ氏は、1970年頃に初代ゴルフのデザインの提案を持ってはじめてフォルクスワーゲン本社を訪れた時、「こんな若者がクルマのエンジニアリングを深く理解していることに経営陣は驚いていた」と、2013年の来日の際に当時の逸話を話してくれました。

ジウジアーロ氏は、イタルデザインをともに創業した宮川秀之氏を通じて、日本の自動車メーカーと仕事を始めましたが、1965年に初来日したときは、食べ物から文化まで大きなショックを受けたそうです。仕事と日本人の友人との交流を通して大の親日家になった同氏は、日本車については、「品質の高さ、信頼性が強みであり、安価な車でも高い品質を実現して、欧州や世界はそれに学んだ」と常々語っています。

画像: ベルトーネ在籍時代に日本メーカーにデザインを提供した第1作目のマツダ ルーチェ(1963年)。マツダのデザインが今日追求するエレガンスの原点にあるという。

ベルトーネ在籍時代に日本メーカーにデザインを提供した第1作目のマツダ ルーチェ(1963年)。マツダのデザインが今日追求するエレガンスの原点にあるという。

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